P. Simon, 1964
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Fog’s rollin’ in off the East River bank
Like a shroud it covers Bleeker Street
Fills the alleys where men sleep
Hides the shepherd from the sheep
霧がイーストリバーの堤防を越え
ブリーカー街を覆っている
羊の目から羊飼いの姿を遮るかのように
男たちが眠る路地に霧が立ち込めている
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Voices leaking from a sad cafe
Smiling faces try to understand
I saw a shadow touch a shadow’s hand
On Bleeker Street
寂しげなカフェからもれる声
笑顔の裏で相手の心の内を探っている
誰かの影が影の手に触れているのが見えたよ・・・
ブリーカーストリートで
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A poet reads his crooked rhyme
Holy, holy is his sacrament
Thirty dollars pays your rent
On Bleeker Street
詩人は、デタラメな詩を読む
「神聖なれ、神聖なれ」洗礼の言葉はそれだけ
家賃は30ドル
ブリーカーストリートでは・・
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I heard a church bell softly chime
In a melody sustainin’
It’s a long road to Canaan
On Bleeker Street
Bleeker Street
教会の優しい鐘の音が聞こえた
終わりのない調べにのって
カナンの地への道のりは遥か遠い
ブリーカーストリートでは・・・
(カナンとは、聖書に約束され「乳と蜜の流れる地」と
謳われた古代ユダヤの国の名前)
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この曲の翻訳には苦しみました。手を付けたのは一年以上前ですが、ようやく
形になりました。(まだ自信があるわけではありませんが・・)
2番の歌詞からは、心の通じ合わない群集の悲しさのようなものを感じます。
同じアルバムにある「The Sound of Solence」で歌われた、一見華やかな
大都会のネオンに覆われた、空虚なコミュニケーションと通じるものがあるようです。
「霧」というのは、心の交流を遮る障害物を指しているのでしょう。それは当時の
アメリカの行き詰まり感や、物質崇拝的な荒廃した精神世界なんでしょうね。
1番の歌詞では、羊と羊飼いが登場します。羊飼いは、悩める信者を導く神だと
思いますが、霧でその姿を見る事もできなくなっているんですね。
3番の歌詞では、敬虔なクリスチャンというよりも、形だけの信心、貧相な生活観
を表しているように思います。
4番の歌詞では、心豊かな生活とは大きな隔たりがある事を聖書に出てくる地名を
用いて表現しているようです。
どこかの古いバンド的に言えば、「ガンダーラはまだ遠い」といったところでしょうか。
「The Sound of Solence」は、華やかなニューヨークの中心街での孤独、
この曲は、やや中心を外れた市街での孤独。
そんな風に私は感じ取りました。これも初期の頃の、モダン・フォークの匂いが
する曲ですね。でも、綺麗なメロディで歌ってみたくなる曲です。